1984年この世に生を受け、親からは、笑顔を絶やさない子になってほしいと笑永(しょうえい)と名付けられた。
皮肉な事にその4年後、父は仕事中に死んだそうだ。しかも、何千万の借金を残して。博打と会社設立の資金の借金みたいだ。母は、その借金を返しながら俺を育てるのに、朝も夜も仕事をした。そのせいか、家ではストレスを爆発させることが多かった。身体がきしむぐらいの威力だった。あの頃は、母を殺す事が夢だった。中学に上がる頃、新聞配達を初めた。この、肥だめみたいな生活を早く抜ける為だ。イジメにもあった。それと同じぐらい嫌だったのが大人達とのやりとりだった。大人達は、よく「がんばって生きるんだよ」とか「きっといいことあるから」なんて選挙活動みたいによく言って来た。そんな時、俺は満面の笑みで「はい」って答えてあげた。何故なら、それは蚊帳の外の大人達を満足させる為だったから。みんな満足そうに、去って行ったよ。だって、俺の不幸の火はその人達には燃え移らないから。ヒーロー気分が味わえたんじゃないかな。その時の夢は、周りの害虫を殺す事だった。高校には行った。中卒でこの水槽みたいな世界で息をするのはキツいから。中学の時とたいして、生活は変わらなかった。卒業式の日、周りは泣いていた。自分には、夏に鳴く蝉の様にしか見えなかった。やっとの想いで社会にデビューした。