「由美ちゃん、もう20分早く起きれば …」
「いーってきまーす!」
ママのお小言を背に玄関を飛び出した私は、引っ越してから一度もお目にかかった事のなかったお向いさんの人影に気付いて、おはようございます、と慌ただしく挨拶すると、パタパタ駆け出した。
「待って!」
急に大声で呼び止められてつんのめりそうになった後、私は振り向いた。
「え、なんですかあ?」
「詩織 ……」
そう呟いた彼は、30代半ばくらいでちょっと苦み走った感じのオジサンだ。
「あたし、由美ですけどぉ……」
穴が開くほど見つめられ、いたたまれなくなった私は、一刻も早くこの場を離れたくなった。
「あのーっ遅刻しそうなんですけどぉ」
迷惑そうに言うと彼は『あ、ごめんね。僕はこういう者なんだけど』と名刺を差し出してきた。
反射的に受け取ると〈office 令〉と書かれた筆記体の文字が目に入る。
「気が向いたらここにメールくれる? 別にスルーしても構わないけど、尋ねたい事があってね」
私はお辞儀もそこそこに駆け出したが、彼の呟いた名前が気になっていた。
しおりって言ってたよね、私の事…… ?
「由美!由美ったらもー!何ボーッとしてんの。 早くプリント回してよ〜っ」
後席から催促され、ハッと我に返った私は慌てて用紙を渡す。
「優ゴメ〜ン、朝の事気になってさぁ」
「えーっ?あのオヤジの話ぃ? ね、後で詳しく教えてちょ」