「…」
美沙子は立ち止まり、少し背伸びをして僕の頬にキスをした。
「はい。今日のオマケ」
僕は頬を手で擦って苦笑いした。「大丈夫だよ。くっつかないやつだから。帰ろ」
「うん。そうしよう」
次の日、美沙子は欠勤していた。(どうしたんだろ?)
体調を崩して長期休暇をとるとのことだった。
(体調?元気そうだったけど…)
1週間程経って、美沙子が退職したという人事が告知された。
長期休暇、退職。予想もしなかったことが続き僕は少し混乱した。携帯も繋がらない。
美沙子から会社に手紙が届いたのはそれから数日後のことだった。
結城俊一 様
ごめんね。突然でびっくりしたでしょ。
私の体なんかヤバイみたい。
多分、もう会えないと思う。
何となくは分かってたんだ。
だからあの日は…。
生まれて今までで一番思いきったことしちゃった。
ありがとう。ホントいい想い出になったよ。結城君の奥さんや主人には申し訳なかったけど…。
ホントにありがとう。
さようなら。
美沙子
(なんだよ。どういうことだよ)
僕は人事課にいる同期に頼んで美沙子の住所を聞き出すと、すぐに会社を出てそこに向かった。
「結城、美沙子だけど末期癌らしいよ。入院先はわからない…」
住所の書かれたメモを受取りながら聞いた言葉が何度も頭の中でリピートされた。
(このマンションか…)
エントランスに入って部屋番号のボタンを何度も押す。
返事はなかった。
僕は美沙子とあの夜に行ったショットバーに入り、あの夜と同じ席に座ってあの夜と同じオーダーをした。
「ジンライムとレッドアイを」
「お二人ですか?」
「ええ」
「二つともお作りしてよろしいですか?」
「ええ」
僕は、グラスを傾けてレッドアイの入ったタンブラーに当てた。
「さよなら」
美沙子の匂いが香ったような気がした。