「もしもし…母さん?」
渇いた声で尋ねると電話ごしで驚いた様子の母親が目に浮かんだ。澪は携帯を片手に駅のホームでベンチに座っていた。
電話の相手が不思議そうに澪の名前を確認した。
空に目を向けてみれば少しだけ曇っていた。雨が降りそうな、もしかしたら降らないような。曖昧な天気と誰もいない静かなホーム。
『あんたどうしたの?こんな時間に電話なんて…仕事は?』
「うん…ちょっとね」
声だけは明るく、明るく。
澪がそう思う度に視界は歪んでいった。
少しだけ肌寒い。やっぱり雨は降りそうだ。
「…帰って良いかな?そっちに」
澪の言葉に相手は驚きも動揺もましてや怒りなんてものもみせずに黙り込んでしまった。そんな答えに澪も黙る。
『……家は?一人暮ししてた部屋はどうしたんだい』
「…あれは会社から借りてた部屋だから…返したよ」
『………そうかい』
電話ごしで一体何を思っているのだろう?
澪は不安な気持ちを一杯に電話を握り締めた。しばらく続いた沈黙。
『…帰っておいで』
澪は上手く礼も言えずにただ携帯を前に頷いていた。
『…何があったかなんて家に帰って来てからで良い。…お前の居場所は横浜じゃない。母さん達のとこだよ』
「……っ」
溢れた涙を拭いながら暖かい気持ちになった。胸をギュッと優しく、でも力強く抱かれた気がした。
『父さんも会いたがってるよ。澪、お前、今どこにいるんだい?』
「…実はすでに小樽だったり」
今までのシンミリとした空気が破裂したように電話口から笑い声が聞こえて来た。静かなホームに小さな電子音ならぬ電子声が響く。
『んなことだろうと思ったよ!ったく。…早く帰っておいで。雑煮でも作っておこうか?』
「母さんの雑煮、大好きだよ」
澪はそう言って別れを告げて電話を切った。折り畳み式の携帯をパタリと閉じる。再び戻った静寂に辺りを見渡した。桜の木が一本、遠くに見えた。