あの人

はな  2007-11-25投稿
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私がこの世に生を受けてから、もう10227日も過ぎているのに、今の私は、あの人と過ごせた249日の間に出来上がった。

そしてあの人と出会ってからずっと、別れてからも、今もずっと、私が生きるこの世界は、あの人だけで構成されている。

世の中に溢れるどんな些細な静物からも、私はあの人にまつわる話をする事が出来る。「ん」が付いても続けられる、ずっと終わらないしりとりみたいに。

例えば電車の座席。初めて(そして最後に)彼と電車で出かけた帰り道、歩き疲れてぐったりしたあの人の、座席にもたれて眠る姿。

例えば生パスタ。二人のお気に入りの店、いつも必ずチーズが濃厚そうなメニューを選んで、皿にこびりついたソースを丁寧にこそげる。

例えば知らない街の知らない人のお家。三階建てかな?あの壁は流行なの?お家を建てるのがあの人の仕事。

例えばボルヴィック。これが一番飲みやすいって笑う、いつも車のドリンクホルダーにささっている。

一人で歩く時も、必ず彼を意識する。彼の歩幅、身長、歩く早さ。合わせて、遅れそうになると少し私が駆け足になる、彼は決して私に合わせない。

思いでは麻薬だ、美しければ美しいほど、抜け出せない。

夕べ、あの人のお葬式を執り行った。参列者は私だけ、ヴァイオリンカルテットが奏でる旋律は、私があの人に聴かせる事が出来なかった曲。

箱の中のあの人を見下ろす。私は何も言わなかった、あの人も何も言わなかった。あの人の声はとてもきれいに響くけれど、それは私には辛過ぎる事がわかっている。あの人もその事がわかっている。

花の名前が詳しくないあの人にでもわかるよう、簡単な名前の花を胸に乗せる。その時私は、自分の嗚咽の声は、ドラマに出て来る女優みたいに、綺麗ではないのだなと知った。



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