わたしがうまれたとき、すでに左目がつぶれていて、右足に麻痺があった。
障害は先天性のもので、おまけに原因は一切不明。
そのせいで親戚中から母は責められた。
嫁ぎ先は今時珍しい古くさい考えの塊だったらしく、いわば嫁とは、後継ぎを産む、小間使いみたいなものだという認識があり、健康なコドモを産むのが当たり前、だから、わたしみたいなのがうまれたとき、母親の遺伝子のせいだ、母親の妊娠中の食生活のせいだ、母親の、母親の。
元から神経が細く繊細で穏やかであった母は、親戚中と祖父母、果ては父にまで責められ、気を病んで自殺した。
「こんな化け物は俺の子ではない。」
母の葬儀のとき、まだ乳飲み子のわたしに向かって、父であるはずの男はそう吐き捨てて、母方の実家に、なかば捨てるように預けたそんな障害をもったわたしを愛情豊かに育てたのは、他ならぬ、母方の祖父母と伯父と従姉。
わたしはシアワセに暮らしていた。
それから、二十年の月日が流れた。