第?章
ハジマリノヒ
私は1978年7月14日
午前5時に生まれました。
よっぽど母の中は居心地が良かったのか、予定日より1週間遅れで、体重4000g。病院中に響き渡る程のうぶ声だったみたいです。
泣き止んだ後に幸せそうに眠る私を見て、父と母は『幸子』と名付けた。
母は洋裁を得意としていたので、私が着ている服は全て母が作る物。だからどんな売っている可愛い服よりも、私には母が作る服が1番似合っていて、母も私も近所ではちょっとした有名人だったようです。
それに兄を含め従兄弟は全て男の子だったので、私は本当にみんなに可愛がられ甘やかされて…ちょっとしたアイドルだった。
もちろん。そんな育ち方をすると…典型的な我が儘で泣き虫!
好き嫌いも多く、精神的にも弱く…。
気がつけば、病気の日々に点滴の毎日…
大きな体も平均以下で、痩せ細った赤ちゃんへと変わってしまった。
母は毎日そんな私を見て涙し、『出来る事なら変わってあげたい』と折に願ってくれてました。
本当に毎日が生死との戦いで両親には心配をかけて、まだ四歳の兄には私が両親の愛情を独り占めしてしまい、淋しい思いをさせていたと思います。
そして、両親の必死の看病と母の願いが叶って、少し元気になった頃、我が儘で好き嫌いの治らない私をみて『このままだとこの子はダメになる!また大きな病気で苦しむ事になって、幸せな道を歩めない』と母は思い、母だけは厳しい母へと変わっていった。
少し成長して、おしゃべりが出来るようになった時は、自分の事を『タチコ』としか発音出来ない私に母は厳しい口調で『サチコでしょ!サッよ!サ』と毎日直された。そして、怒られるのが嫌だった私は自から『チコ』と呼ぶようになった。
さすがに母も諦め…するとそれまでサッチャンと呼んでた父、母、兄、そして回りの人全てがチコに変わりました。
時は経ち…三歳になった頃、洋裁が得意な母は私にはレオタードを作って、そして『コレ着て踊ってみたくない?』と聞いてきた。
三歳の私には、まだバレエという物を知らなかったので、ピンクのレオタードを着てみたい為に、『うん!着てお出かけする。』と言ったらしいです。
そして、その一言が…バレエをきっかけに母と私の…【二人で一人】の人生が始まったのだった。