お母さん
智遼 2007-12-13投稿
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母の病気を知らされたのは今年の初夏ことだった。
母がガンで余命三ヶ月だなんて納得できるわけなかった。毎日一人で泣いた。
別にマザコンというわけでもない、母はいつも自分を犠牲にして人に尽くしていた。そんな母が好きだった。ようやく子供である僕らも大人になり、心の病気だった父も落ちつき、自分の好きなことが出来ると喜んでいたすぐあとの発覚だった。
季節が寒くなると共に母の病気は進行していった。ぽっちゃりだった体格も痩せ、骨と皮だけになっていった。しかし母は病気のことで弱音をはくことはなかった。
母とのお別れの日がやってきた。家族の前で母の意識は薄れていった。意識を失って間もなく母は息を引き取った。
泣いて何度も何度も呼んだが母は戻ってきてくれなかった。
もっとしてあげたいことがたくさんった。でも…
母は一度だけ夏ごろに僕の前で泣いたことがあった。
「今まで辛い思いをさせてごめんね。もしお母さんが死んでも、胸をはって生きてね。今まで苦しめられた悪い運気は全部お母さんが持って行くけね。まぁまだまだ死ぬつもりはないけどね!」
「お母さん、僕は今も胸をはって生きてます。」
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感想
- 8192: ありがとうございます。自分も今考えてみればよかったと感じます。自分は母が亡くなる半年前に父が捕まり、母も病気になりました。自分がこの世で一番不幸だと思い、人生がなげやりになってました。でも母が諦めずにガンと闘う姿を見れて、前に進もうと考えることができました。そして自分にはまだ父も兄もいるので3人で頑張っていこうと思います。感想ありがとうございました。自分と同じような境遇の人に出会えてよかったです。これからもお互い頑張りましょう。いいことは必ずありますよ。
- 8188: 12月16日に感想を書いた者です。…そうですか…。こんな言い方…失礼かも知れませんが…【良かったですね。】…私も、もっと父の側に居たかった。邪険にしないで…側に居れば…良かった。私には、母もいなくて…今は、兄と祖父母とで暮らしてます。お互い…頑張りましょうね。
- 8177: 感想ありがとうございます。自分もちゃんとしたお別れの言葉は言えませんでした…。でも最後を看取ってあげることはできました。余命三ヶ月とわかってからはなるべくそばにいてあげるようにしました。今まで親孝行なんかしたことなくて、それが自分に親孝行だと感じたので。
- 8159: 私は、小4の時に父を病気で亡くしました。何だか…少し共感して…感想を書かせて頂いてます。私の時は…入院したその日に亡くなったので…お別れを言えませんでした…。貴方は、ちゃんと…伝えられましたか?
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