化粧岩というと、岩に描かれた壁画というのが一般的かもしれない。
だがここの岬の岩には、化粧岩という名がついている。
普通ならば、蝋燭岩と呼ばれる岩の形なのだが、ここの住人たちはそうは呼ばない。
美的感覚が優れているからだという。
岬一帯の海は浅瀬が続いているためか淡い青をしている。海底まで覗けそうな海に、漆黒に磨き上げられた岩が乱列してる。
見る者が見れば、それだけで素晴らしい光景だろう。
空の色を写したような海に、陽射しに煌めく岩の漣。
したたかに打ち付ける飛沫は、荒々しくも流動的な美しさを描き、小さな虹をいくつも作り上げている。
だが、そこには赤が足らないのだ。
住人は続ける。
朝日が昇れば岩に赤が染みてはいくが、表面に布をかけるよりも薄く、朱い斜幕をかけたぐらいだ。
夕日の赤はさらに濃いかもしれないが、海を焼くのが精一杯で、岩まで燃やす力はない。
だが、あの纏わり付くような赤だけは、岩を美しくひきたてる。
それは、
−−−血だ。
塗られたばかりの血は瞬く間に岩を濡らし、ぬめりとともに艶やかさをかもしだす。
黒い岩は赤黒く光り、そのときだけは、ルビーの石よりも魅力的で、幽玄な光景となる。
ひとときしか見られない、あの輝きは、瞬きするのも惜しませ、月食よりも稀な光景に我々は歓喜し、感動に震えるのだ。
だからこそ、あの赤色を映えさせる岩を褒め讃え、化粧岩と呼んでいる。
そう、我々はどこの人間よりも、美的感覚に優れた者の集落なのだよ−−−
岬の先に家を持つ男は、ドライブで立ち寄った僕にそう話してくれた。
だが、あまりに不気味なので、僕が頷き半分で車のほうに振り返ったとき、僕の鼻先に知らない顔があらわれた。
『ここ2年、見てないんだ』
体が浮いた。
急に流れだした視界の中で、住人たちの嬉々とした視線が痛い。
崖に群がる彼ら姿は、角砂糖にたかる蟻のようだ。
いきなり空が、黒くなった。