真弓は、これからまた打ち合わせがあるらしく、スタジオを後にするのは2人別々になった。
腕時計に視線を落とすと、午後5時を過ぎていた。
辺りは既に夕日は沈み、薄暗く静かで、空にはたったひとつ、金色に星が揺れていた。
風が少し吹いている。
私はコートの襟を直した。
タクシーをひろう為に大通りへと向きをかえる。
「あの!須賀さん!」
私は声のした方に振り替える。
さっきよりも少し強く風が流れた。2人の間の空気がざわめいた音がした。
遠くの方で車のクラクションがきこえる。
彼が目の前にいる。
少しの沈黙の後に彼が右手を差し出した。
「これ、受け取ってください。」
私が躊躇っていると、彼は私の右手の中にそっと何かを渡してくれた。
「これ…。」
私の右手の中には、さっき迄の撮影で身に付けていた、シルバーのブレスレットだった。小さなシルバーの星の中に小さなピンクダイヤモンドがキラキラ揺れていた。
「今日の記念に。あと、これ。」
少し照れながら、彼は名刺を差し出してきた。
私は黙ってそれを受け取る。
――嬉しいのかもしれない。
でも、これ以上は踏み込んではいけない。
名刺に書かれていた彼の名前の文字を視線でなぞる。
「戸川さん…。」
私は俯きながら続けた。
「私、今は名前が吉岡なんです。どうしてあなたが私の旧姓をご存知なのかはわかりません。」
私は彼の方を見ずに一気に続けた。
彼は今一体どんな顔をしているのだろう。
「結婚しているんです。だから今は須賀じゃないんです。」
そう言うと、私は右手の中でキラキラ揺れていたブレスレットをグイッと彼の右手に押し込む。
もう振り返らないように。
そう決めてから、彼に背を向けた。