《翌9月2日・東京都Z区立第三中学校》
その茶道室には二人しか居なかった。
静寂の中、とある男子生徒が畳に置かれた陶椀を作法通り回してから、一気に抹茶をすする。
当然正座だ。
もてなす側は戻された陶腕に再び湯を注ぎ抹茶を立て始めた。
大人びた着物姿の美人だった。
『ご気分は如何です?』
目を閉じたまま彼女は尋ねた。
『忙しい―特に最近は』
正座したまま梅城ケンヤは素直に答えた。
相手は出来上がった二杯目をケンヤに勧めた。
目は閉じられたままだ。
『正直ここ以外落ち着く場所がない』
手にした陶椀の湯気を受けながら、ケンヤはぼやいた。
そして、今度はそのままぐいとあおってしまった。
その様子を見て―\r
『あら、まあせっかちな事』
相手は着物の袖で口を押さえてころころと笑いだした。
黄色の地に紅葉の意匠を散りばめた季節感に満ちた鮮やかな柄だ。
だが、正確には彼女はケンヤの姿を見て笑ったとは言えない。
なぜなら彼女の目はこの時に及んでも、まだ開かれてはいなかったからだ―\r
否。
彼女の場合、生まれてから今まで一度もその両目が開かれた事はなかったのだ。
そう―\r
同中学校三年・大川アヤノは生まれつき目が見えなかったのだ。
『確かに感じ取れます。会長は随分お疲れのご様子』
だが、アヤノはこの中学校の全生徒から【賢人】として尊敬されていた。
生徒会からも教師からもだ。
『ですが気苦労の半分はきっとご自身のせっかちさから来てますわ』
彼女の髪は長い紺の布で後ろに束ねられていた。
その豊かな前髪の間からのぞかせる微笑に梅城ケンヤは心なしか赤面した。
『これは―すっかり見透かされましたな』
空になった陶椀を戻しながら
『全く生徒会にあなたみたいな賢者があと二人ばかりいたら、私もここまで苦労はしないのですが』
隠さざるこれはケンヤの本音だった。
大川アヤノは才能も人格も、確かに第一級の逸材だった。
体育以外では成績は常にトップを占めていたし、入学と同時に生徒会に参加して、一年の時から重鎮として活躍していた。
更にこのように茶道始め、様々な伝統芸能をたしなみ、その全てに精通している。
一昔まで荒れていたこんな学校にはもったいない人物だったのだ。