私が6歳、妹3歳のころ、父の大阪から東京への転勤が決まった。東京に引越してきて、たった2ヶ月だが幼稚園に通うことになった。
私は社交的で明朗活発という言葉がよく似合う子供だった。実際には大阪での友達はみんなそんな感じだったが、とりあえず東京でもたくさんの友達を作りたいと思った。
しかし、幼い子供とは時にとても残酷だ。私は大阪弁しかしゃべれなかった。元気よく自己紹介したものの、円になって聞いてた園児達は一斉に笑い出した。
「お前、変な言葉ー!きもちわりぃ!」
子供は純粋で素直だからこそ怖いくらい人の心をえぐれる。私は始めて自分がみんなと`違う´のだと感じた。
それからと言うもの、私は人としゃべらなくなった。家でもなるべく標準語をしゃべろうと努力をした。私は“変”なのだから、早く直さないと。。。そう考えるようになった。
たった6歳の子供でも、深く傷つき、それに苦しむことがある。しかしSOSはどこかで出していたはずだ。しかし、母は気づかなかった。
東京に来てから、母と父の仲もさらに悪化した。私はアレ以来しばしば夜中に目を覚ますようになった。そして、たまに聞こえる『痛い音』がなるべく聞こえないように布団の中に潜り込む。
そして妹にきこえないようにと願い、隣で寝ている妹の耳をふさいだりした。
母が隣で寝てくれるときは、母が夜中に目をさまさないよう願い、母が側から離れないようにうでをぎゅっと握って眠るのだった。
こうして、昼間は幼稚園で、夜中は家で心労をせおっていた私はある日高熱で倒れてしまった。母は慌てて病院に連れて行くとそこで医者が、ストレスからくるものだ。と言った。そして、その日の夜に事件は起こった。