コーヒーを啜る音だけが響いた。ベッドの横の白い円形のテーブルを挟んで僕と彼女が座っている。カーテンはピンク色で女性らしさが際立っている。彼女が容れてくれたドリップ式のコーヒーは挽き立つ香りがしておいしいと思った。しかし彼女は俯いて黙ったきりだ。沈黙を嫌った僕は切り出した。
「おいしいね」
僕の言葉に彼女は小さく頷いた。しかし彼女は俯いて視線を落とした。
どうしたの?と聞こうとして言葉を飲み込んだ。これ以上彼女を傷つけることはできない。
「昨日のお笑い番組見た?すごい面白かったよね最近お笑いにまたハマっちゃってるんだよね」
不意に話し始めた彼女の表情が痛々しかった。作り笑顔がはっきりと見てとれる。いつもの彼女らしい自然でかわいらしい笑顔ではなかった。
「最近好きな芸人いる?」と笑顔で彼女。
「特にはいないね」
空元気だな、と感じた。あの件でかなり傷ついたに違いない。僕は心を痛めた。
付き合い始めた頃はよくお笑いのライブに行ったりしていた。客席で大笑いする彼女を見て幸せな気分を感じたものだった。帰る途中でネタを思い出して二人で笑ったりしていた。
再び沈黙した。窓に面した通りを大きなトラックが走り去る音がした。細い路地を猛スピードで駆け抜けて行った。
「最近眼鏡変えたの?」
彼女が切り出す。
「そっちこそヘアスタイル変えたの?」
他愛のない会話が十分ほど続く。彼女は僕を部屋に呼んではいつも下らない会話を朝まで話したりしていた。二ヶ月前まではよくしていたことなのに遠くに感じた。
再び沈黙した。沈黙するたびに胸の鼓動が激しくなる感覚を覚えた。まるで付き合い始めた頃のようだ。彼女からどんな言葉が出るのだろうかという期待に似たものもあった。
彼女はおもむろに振り返ってピンクのカーテンを開けた。月が丸いね、と彼女が呟く。今日は満月だね、と僕。
あのさ、と彼女。
「今日、久しぶりにドキドキしちゃった。あなたに会えて」
「ドキドキしたのは俺の方だよ。急に呼び出されて」
二人で顔を見合わせて微笑みあった。僕はさらに胸の鼓動が激しくなるのを感じた。僕は以前彼女といる時にいつもこの鼓動を感じていた。彼女の手を取って僕の胸に当てた。聞こえる、ハートビート。いつでも感じていたいと思う。