私が何を考えていようと、私の心に誰がいようと、夫に費やした時間、二人で共有した時間のながさと密度がお互いを馴染ませ執着となっている。
心になくてもすでに互いが相手の半身となっているのだろう。
いつの日か、夫に死が近付いた最後の日、私は人払いをし二人きりになりたい。
私の半身となり、私を抱き、愛してくれた体に別れをするだろう。
夫に最後に触れるのは私がいい。他の人には触らせたくない。
私が先に死んでも夫にそうして欲しい。
それはやはり、夫に所有されていると同時に、私も夫を所有していると思っているからだろう。
死で所有者をなくした私は、自分の半身を取り戻すのだろうか。
夫と共に私の半身も灰になってしまうかもしれない。
でも、それも悪くないと思う。