2005年夏、30歳になった私は、自称・フリーランスの映像技術者だったが、実際は失業状態だった…、
7月半ば、まずは出費をおさえるために、約9年半住み慣れた東京・中野を離れ、実家[埼玉県・東武伊勢崎沿線]へ出戻った。
6・7月に稼いだギャラを食いつぶし、暑い中をさまようだけの、夏後半が始まってしまった…。
さまようにも金がかかるので、どうしても実家近辺を歩くだけになった…。
携帯と煙草だけを持ち、あてもなく歩き、公園を見つければ一服し、河原に出れば寝転んだ…、空も雲も、どこで見ても同じだなぁ…(笑)。
夏も終わりに近付いた頃には、いよいよ手持ちの金が気になってきた。
私は結局、二つ隣の街の郵便局で、アルバイトを始めた、このバイトを選んだ理由は2つあった。
1…東京でも失業したことがあり、その時も、[せっかくバイクの免許あるから]との理由で、郵便局で配達員をやった。
2…規則正しい生活なので、しばらくはバイトしながら、やがて会社[撮影技術プロダクション]探し、という計画が立てやすい。
…の2点である。
私はその年の秋から、30過ぎの実家暮らしのフリーターになった、
毎日、草加市の東側、大小様々な工場や運送会社がある地域に、郵便物を届け続けた…。
12月になると同時に、私は実家から通える距離[都心の東側くらいまで]を条件に会社探しをはじめ、運よく年内には、赤坂に見つけることができた♪
年賀状も配り終わり、撮影の仕事に戻る事も決まっていた1月、それだけでいい気分だったが、ある日内定先から、パスポートの有無を聞かれた!
埼玉県で、来月の海外ロケはどこだろうと考えてる郵便屋は、そうはいまい(笑)。
2月上旬、まずは東京での運転感覚やロケ技術をリハビリしながら過ごす、
そして海外ロケの行き先は…?
なんとイタリア!内容はトリノ五輪と、イタリアへ帰郷する歌手の、ヴェネチア紀行の取材であった♪
2度はないであろう貴重な冬季五輪の取材、
やがては水没してしまうと言われる水の都。
ミラノの町並みや、特急列車・ユーロスター…。
冬は嫌いだが、この時ばかりは別である[当然だ!]、
私は、この冬以上の幸運を、後にも先にも経験した覚えはない。…が、まだまだだ!