1988年・春、私は中学生になり、部活動は、とくに迷わず、陸上を選んだ。
世界で最も大きなスポーツの大会は、ワールドカップである。
…が、この頃の日本人の意識は、オリンピックがそうであった、Jリーグ発足は、5年先の話であった…。
[走る事は、全てのスポーツの基本である]、とは、入部初日の顧問の先生の言葉である、確かにその通りである。
…が、以後、私は高校に進学しても、陸上を続ける事になるのだが、球技や格闘技は、昔も今も、からっきしダメな運動オンチである(笑)。
話は戻り、入部初日へ…、
私は、短距離走を選んだ、陸上の花形種目といえば、私には、それしか思い浮かばなかった。
先の夏には、ソウルオリンピックが控え、陸上と言えば、カール・ルイスが思い浮かんだ頃であった。
…私は、運動神経のなさが走りにも表れ、フォームが全然なってなかった、顧問の先生からは、[谷はピッチ走方だな]、と言われた、ソウルオリンピックで、ドーピングにより失格となった、ベン・ジョンソンもそうだった(笑)。
ジョンソンのピッチと、ルイスのストライド走方が合わさると、世界一の短距離ランナーが誕生すると、当時の何かのテレビで言っていた…。
それはさておき、中学・高校と続けた部活動生活は、毎日の帰り道、数々の大会、そして合宿、どこへ行っても楽しかった♪
1993年の初夏、結局、聞き分けのない私は、正しいフォームを身につけないまま、高校生活最後の地区予選大会に出場した。
…100M、11秒56。
…自己最高記録!だが、予選落ちであった。
気分は、最高だった♪
負けはしたが、15ラウンド戦い抜いたロッキーの気分だ!(笑)
…高校卒業後、私は、地元のレンタルビデオ店でアルバイトをしながら、映画学校へ通い、上京し、映像業界で働き始めた。
…最初の年末年始、私は箱根駅伝の仕事で、湯本地点にいた、駒沢大学のメンバーには、高校の同級生がいた!
彼はスポーツ推薦入学であった、私も頑張ろうと思った。
…上京から今日まで、アトランタ、シドニー、アテネと、4つのオリンピックがあった、それらが近付く度、私は周囲に、自分が陸上をやっていた事をほのめかしてきた。が、オリンピック撮影の経験は、まだない(笑)
北京へ行きたい(笑)