ある時私はコンビニで雑誌を見た
そこにはパレスチナの銃撃戦を望遠レンズで撮った写真があった
ある意味日常的報道写真
偶然通りかかった父子が壁に隠れ逃げられずにいる
連続した白黒の写真の中狙撃兵に見つかり命乞いをする二人
その後父親が撃ち抜かれその目に光が無くなる
少年は兵士に向かい叫びを上げながら祈り続ける
最後の写真は父子が折り重なり倒れていた
私はただ呑気なコンビニで数枚の写真に震えていた
毎日のようにどこかでこんな事が起きている
だから私は強く生きようと簡単に言えば言える
人に寛大にとか文句言わずに悔いなく死ねるかとか幾らだって言えるのが怖い
その少年は悔いなく死んだのか
より良く生きるとかより良く死ぬとか
そんな事が生まれ落ち死に行く事の意味なのか
何も分からない虚無感と何も出来ない無力感
本当はそれに向き合う格好してみてるだけで直視してもどうしようもないそんな自分のはけ口が信仰じゃないか
精神の在り方その先に答えがあるのかそれを私は見付ける事ができるか
本当はそれを欲していたはずでもそれが怖いのかその先の虚無に耐えられないのか
美しい言葉でそこに蓋をする
私の心のその扉を少年は開けて去った
口で言うなら簡単と誰もが言う
口で言う以外誰が何をできるか心を揺さぶられるそれ以外何ができるのか
この写真を撮った人間にもそれは分かるだろうか
自分のプライドや欲望に後付けの理由を付けて今このぬるま湯で正当化する私に何が見えるか
少年が開けて逝った扉の向こうをさまようだけ
その先に行きえた人はいるのか
その先に行きえた人はいるのか