『お前がマウンドで一番輝けるように輝一(キイチ)と名付けたんだ!』
アルコールが入った父の決まり文句。
姉と二人兄弟の俺は、待望の男子という事もあり人一倍大事にされていたと思う。
母から野球狂と呼ばれる父は、俺が羊水に浸かっている頃から将来はプロ野球選手になると周り近所に言ってまわったらしい。ジャイアンツが負けた日の父は誰にも手がつけられなかった。そんな野球狂に耐え兼ねた母は俺が3歳の頃、豆腐を買い忘れたと言い残しザルを片手に出て行ったっきり帰ってこなかった。5歳の誕生日に長嶋茂夫と同じグローブとプロが使用する硬球のボールをプレゼントされた俺は、『父が全力で投げたボールを命懸けで受ける』という拷問にも近いキャッチボールに毎日付き合わされる事になる。正に『現代版巨人の星』だ。飛雄馬には明子という優しい姉がいて、常に心配し木陰から見守ってくれているが、俺の姉は「ドンマイ〜(笑)」と地獄のキャッチボールに連れ出される俺を笑いながら見送るのだ。幼少の頃からそんな日々が続く俺が野球嫌いにならない訳がなかった。
そして俺は中学に入学し、野球部に入部すると確信していた父に、半殺し、いや全殺しにされる覚悟でバスケ部に入部した事を伝えた。
当時はスラムダンクという漫画が大人気で、バスケ部の入部数も過去最多だったらしい。野球部はというと、全員丸坊主にするという掟があり、入部数は過去最少だった。
「俺、野球部には入らんかったよ。バスケ部に入ったけんね!」
新聞を読んでいる父に、殴られるだろうという事もあり、半ば喧嘩腰に言い放った。何も悪い事はしていないのに、父の顔を見る事はできなかった。鉄拳が飛んでくるのを、奥歯を噛み締め待構えている俺に
「…ほぉか。」
と気のない返事が返ってきただけだった。予想外の展開に面食らった俺は困惑し、キレの悪いウンコの様な顔をしていたと思う。
その日から地獄のキャッチボールはなくなった。
丸坊主になるのが嫌で始めたバスケットも、一年と持たず三日坊主で幽霊部員。三年間、一生懸命ダラダラ過ごした。
高ニになり俺の髪も茶色に染まり出した頃、父は酒とタバコとナイター中継をおかずに晩飯を食べていたのが祟り、肺では大きな双子の腫瘍が産声をあげていた。
続く