コンピューターの誤作動によるパニックはなく、2000年はやってきた。
その頃の私[当時24才]は、映画の録音助手の仕事をあきらめ、アルバイト生活をし、企業映像制作の仕事に就いたばかりだった。
同年2月、台湾のT社と日本のI社の、合同事業の記録を撮影する仕事が入ってきた、台湾火力発電所の、建設記録である、私にとって、初の海外ロケである♪
出国前日、同行するカメラマンの指示をあおぎながら、機材を梱包する、手持ちの機材は、カメラだけだ。
台湾の電圧や、コンセントの形状も調べる、
…電圧は日本と大して変わらない110V、コンセントは、全世界対応の変換プラグを用意した、準備オッケーだ♪
…人間、張り切り過ぎて、細かい行動パターンがいつもと異なると、ろくなことにならない…
事務所の出発時間の数分前、私は、自宅の目覚まし時計の前で、痛感した(泣)
電車の中以外では、高校で陸上をやっていた時以上に、全力疾走。
私は、皆[カメラマン・ディレクター・私]の出発を、30分以上遅らせた。
…気分は最悪だが、成田空港の到着予定時刻には間に合った[ホッ]、車を長期用の駐車場に停め、機材をカートに積み、税関へ。
台湾は、カルネが必要ない国なので、機材リストと現物を見せるだけで済んだ。
…約2時間後、台北空港に到着、寒さが苦手な私には、暑い♪
台北から現場[台南]までは、タクシーで移動、車内では、日本の演歌が流れていた。
台湾の国土は、九州と同じくらい、数時間で現場[台湾火力発電所]に到着した。
ここでも、パスポートが必要だった、この建設は国家事業である、門には、マシンガンを持った警備がいた。
撮影は、いつもと同じだ、無事に仕事を終え、ホテルへ向かった、日本から出張にきている作業員さん達と、同じホテルである。
夜は、近くの街へ、夕食がてらに遊びに行った、先輩カメラマンいわく、[海外ロケは、半分は遊び]である(笑)…私は、実家や友人への土産を探した。
まずはやはり、お茶を買いに…、店主は、流暢な日本語を話した、歴史を体感した。
次はCDを買いに行った、日本より安いからだ、私は、楽しい任務を遂行中だったが、[不可能的任務]のサントラを買った、[ミッション・インポシブル]である(笑)