「父さんの悔しい気持ちはわかる。でももし発電所が出来なかったとしても、父さんが倒れてしまったら、家族皆が悲しむんだ。もう今父さん一人でどうにかしようと思っても無理な話だ。どうか体の事を一番に考えてくれ。」
私達が帰郷できない時、代わりにと家族の声を入れてカセットテープを送った。そこには父の声でそう吹き込まれていた。
東北電力女川原子力発電所の計画は以前からあった様で、東北最大の都市仙台へと、夏期は東京への電力供給も目的であった。そしてその建設予定地はいつか漁に出かけウニを取った、あの美しい海沿いだった。
日本有数の漁港ではあったが、やはりこれといった大きな産業の無い町であったからだろうか。
地元の漁業権を持つ者は大金を渡され、安全性を語られて次々と賛成派へと変わっていったという。
反対活動も熾烈を極め、反対運動者は地元の主要な場所を廻っては危険性を訴えて活動を続けていた。
しかし計画が最終段階に入り、漁協で誘致が可決された後には反対派支援者も一人、また一人と減り続けた。その中で残っていたのが祖父であった。