「ここに来てたって?…春樹さん、そんなこと一言も…」
春樹は床の一点を見つめていたが、祐輔の言葉に振り向き、重い口を開き始めた。
「あの日、昼過ぎに突然帰って来るなり…おばあちゃんの日記が見たいと慌てた様子で詰め寄ってきて…」
「おばあさんて…確か、菊枝さん?」
「ああ…それで日記を渡すと、すぐに飛び出していったよ」
「それで、菊枝さんの日記には一体…何が書いてあったんです?」
「日記といっても…お義母さんが大人になって、記憶を辿りながら書き記した物らしい…この村に流れ着いた…ロシア人の哀しくて、そして恐ろしい話だよ」
祐輔は牛嶋の言葉を思い出した。
「そのロシア人て、とても美しい青年だったんじゃ?」
春樹は少し落ち着きを取り戻したみたいだった。
「そうだが、でも祐輔くん…何故それを?」
「牛嶋に聞いたんです…スターリンの謀略から逃れた、妖艶で美しい将軍がいたと」
「将軍?…そんな大物が、小さなこの村に…」
「いえ、有り得る事です…現に教授と悠子は研究の末、この村に辿り着いた」
「確かに…お義母さんが十歳の頃の出来事をしたためた日記だからね…時期は一致してるけど…」
「日記の詳しい内容…聞かせてもらえませんか?」
春樹は日記に書かれていた事柄を、思い出し、思い出し語り始めた。
「村から一山越えた海岸で倒れてたそうだ。それを、父親の釣り遊びに付いて来てたお義母さんが発見して…父親はそのロシア人を家に連れ帰ってすぐに医者を呼んだ…」
祐輔は聞き入った。
「意識が戻ったロシア人は片言の日本語で、名はポリトフスキーといって、訳あって小さな船で航海中、嵐に遇って遭難したと説明したんだ…」
春樹は語りながら、祐輔は聞きながら、ポリトフスキーは将軍だと確信しつつあった。
そして話が進むに連れ、春樹の顔が曇ってゆくを、祐輔は感じていた。