雨だ。
霧雨のような、細く柔らかい初夏の雨。
スーツに染み込んできて歩みを重くする。
会社帰り、僕は人通りの少ない路地を進む。
死んだように静かな夕暮れ…雨のせいで家並みまで灰色にみえる。
前方に自動販売機が、白く輝いていた。
喉は渇いていなかったが無機質な明かりに惹かれる虫のように、僕は近づいていった。
雨に洗われたディスプレイ。傘をさしていない僕が見つめ返している。
ふっとその奥に映る、電話ボックスが目に入った…真っ赤な人影が中にいる。
僕は反射的に振り返った…やはり、ない。
電話ボックスがない。
もちろん赤い人間なんていない。
が。
自動販売機のディスプレイには、ハッキリと映り込んでいる…鮮やかすぎるくらいに。
僕はぞっとして…また歩き始めた。
気のせいということにして。
鬱々とした雨のみせた幻…幻…幻だから。
路駐してある車を通り過ぎた時、僕はずっと離れた場所にいる血の粒のような人影を見た…気がした。
駅に着く。
ガラガラの車内で、真向かいのガラスに、僕と赤い人間が一緒に並んでいる…ように見えた。
髪の毛もない。
目も鼻も口もない。
服も着ていない。
肉の塊を人間の形に整えたような代物。
僕はおかしい。
こんなものが見えていると感じる「僕自身」がおかしい。
明滅する車内。
違う、僕が瞬きを繰り返しているだけ。
0・1秒、またたく度、
赤い人間が僕の方を見る
肉塊が振り向き、真正面を見つめる僕を見つめている。
キノセイ
キノセイキノセイキノセイキノセイキノセイ…
ソレが僕の耳に顔を寄せる。
僕は膝に乗せていた鞄を取り落とした。
ま っ てた ぼ くが みえ る ひ と
聞こえない。
僕には何も聞こえない。
そ れ は
きょ うき の
は じま り
肉塊は僕に触れ
僕の内部に はいり こみ
僕 は 消え…
なんなのかしら、あのサラリーマン…。
真っ青になったかと思えば、今はニヤニヤして…気味悪いったらない。
老女は、はす向かいに座る男に不安を覚え、よろめきながら車両を移動するため腰を浮かした。
これから起こる惨劇の匂いに気付いたように。