追憶に耽りながら、機械的な授業から意識を逸らした。学校の規則詰めの生活と機械的な毎日から逃れて、自由を求めるには観念世界に旅行する以外に方法はなかった。こうしてやっと長い長い授業が終わった。休み時間になると、学友たちがやってきた。
「なぁ、お前相変わらず気持ち悪い顔しているな。」といつもの挨拶を交わした。「おはよう。まぁ…今日も長いなぁ…。」とにべもなく返答した。「まっ、歳を取ったのか。その顔付きからすればさぞかし疲れが溜まっているだろうに。」このように学友たちは決まって「顔」について話題を作る。それほど極端に特徴のある顔なのだろうか。
すると、女たちがこちらに向かってきた。何か物言いたげな表情でこう言った。「どけ、邪魔だ。不細工は存在しなくてもいい。」 私はぶっきらぼうに道を開けた。と、ひとりの女がこう言い捨てた。「分かればいいんだよ。そのかわりこの公害のようなあんたなんか死ねばいいんだよ。気持ち悪い。」と。これもいつもの儀式であった。不細工の代名詞である私の容貌はいつもこのように「醜」の象徴として崇拝された。私の顔という教典からは不細工という文言が読み上げられた。これさえ唱えればあらゆる優越感に浸れる、いわば思春期の潤滑油のようなものであった。