血飛沫のなかに佇んで…僕はぼんやりしていた。体中を染め上げた血液は温かくて、ねっとりと僕にへばり付く。
僕の耳に、誰かの甲高い叫び声が届き…それが僕に向けられたものだと気付くより早く、僕は車内の床に突き倒され、羽交い締めにされていた。
屈強な若者がのしかかり息ができない。
悲鳴はさらに大きさを増していき、沸いたヤカンのたてる音のように聞こえた。
その時、別の誰かが僕の右手に握られていた業務用のカッターを蹴り飛ばし、僕は痛みに悲鳴をあげた。
回転しながら滑っていくカッターは、赤く光っていた。
騒然とした車内で、それは微動だにしない影の足元で止まった。
赤い肉塊。
そいつは僕から数歩離れた場所から、見下ろしている。
僕にこんなことをさせた張本人は、あいつだ。
僕は必死になって影を仰ぎ見る…。
肉塊は唇のない口を開き目のない視線で僕を見つめた。
ぼ くの なまえ
し って いる?
歌うように語りかける。奴の声が聞こえた瞬間、周りの音が消えた。
僕と奴しかいない車内。
誰なんだ?お前、なんでこんな…
ぼく の名前は
きみ と同じ。僕は君。あの時僕は君に呼ばれ現れた。
何を言ってるんだ。
肉がうごめき、形を変えていく…。
僕は虚無。
君のなかにある虚構。
君から生まれ、君は僕と同体。
違う!僕はこんな…
君は弱い。僕なしには全てをやり遂げられなかった。
君は全てを壊したかった世の中の輝くもの、全てを嫌っていた。
君は虚無さ。
僕と同じ。
違う…僕は…考えただけだ。僕のせいじゃない
肉塊は僕の顔になり笑った。
ぼくの名は虚無。
僕の名は僕。
ぼくの名は…殺意。
今日、JR東海道線車内において無差別殺傷事件が起こりました…被害者は十人以上、死者は六人……なお犯人は…錯乱している模様…警察は引き続き動機の解明を……
赤い肉塊は人込みを擦り抜けていく。
人々の多くは気付きもしない。
だが、会社帰りのOLが足を留め…振り返った瞬間
肉塊は歩みをとめ
彼女へと向かって行った
唇のない口を歪め、目のない視線を彼女へ向け
笑っていた。
僕は君
君の殺意
終