涙色のメモリー

一 美命  2008-06-12投稿
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 小学4年生の遠足の前々日こんなことがあった。体育の時間の終了後に校庭で4人の男子児童から校庭の砂をかけられました。その砂が私の器官に入り、私は保健室に連れて行かれました。涙を流しながら苦しんでいる私を前に、私に砂をかけた男子児童のうち3人は謝罪しました。残りの1名はその後も謝罪はしなかった。そのことについて先生は何も言わなかったのであろうか。悪いことをしたら謝罪する。こんな当たり前のこともさせられない、情けない担任でした。そこで謝罪させなければその生徒は、自分のしたことの善悪が分からないのではないかと思う。やっていいことと悪いことを教えるのも教育の一環ではないでしょか?
 それと、もう一つ驚くべきことは、その後、近所の耳鼻科に連れて行かれ、2、3日安静にしているように医師から言われてしまい、遠足には行けませんでした。
 普通、こういうことはいじめた側の親に連絡すべきではないだろうか?
 そういうことは一切なかったようで、親からの謝罪も一切なく、こちらの印象としてはもみ消されたような感じでした。
 被害にあった私のことはいじめられる方が、隙があるからいけないと思っていたのでしょうか。人の弱みに付け込む人間はどうかと思う。そんなことが幼い頃から認められてしまえば、どんな大人に成長するのか末恐ろしいとしか言いようがありません。
 大人になった今でも、フラッシュバックします。アジア系の男性に囲まれると気分が悪くなったり、男性と団体を見ると気分が悪くなったりします。
 いじめる方は、ガス抜きができていいかもしれない。でも、いじめられた方は生存していれば、その傷を抱えながら生きていかなければなりません。その傷を癒すのにどの位、時間がかかるのか、本当に癒してくれる人と出会えるかは分かりません。
 人間であれば、少しは他人の気持ちを理解する努力ができるように成長を促すべきではないでしょうか。

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