『菊枝さんが…それじゃあ、早苗さんに歌を教えたのも、歌わせてこいつを蘇らせるため…日記も、自分が死んだ後も蘇るよう、導くために細工したというのか…我が子と孫なのに』
流れ込んでいたポリトフスキーの意識は消え、祐輔の意識も消えようとしていた。
『もう、どうだっていい…悠子の死の真相も分かったし…あれ?…大林教授は歌を口吟んでいなかった…そうか、悠子が聞かせていた相手が教授…だとしたら、歌を聞くだけでもこいつは現われるのか……春樹さん』
祐輔は、悠子と同じ事をしているのに気付いた。
『は…春樹さんが…春樹さんだけはやめろ…やめてくれ…春樹さん…すま…ない………』
祐輔は息絶えた。それと同時に怪物の姿も消えていた。
春樹は散らばった石を片付け、洞窟の周りに咲いていた草花を摘み採り、祠にお供えして手を合わせていた。
「さて、帰るとするか…祐輔くん、腹を空かせているだろう…」
春樹が立ち上がろうとすると、すぐ後ろから生臭い息が漂ってくる。そして獣の唸り声が聞こえてきた。
グルルル…
春樹は熊が入って来たのだと思い、刺激を与えぬよう、ゆっくりと振り向いた。
しかし、それは熊などではなかった。振り向いた目の前に、春樹の三倍はある顔が覗き込んでいた。
顔中シワが寄っていて、土色をした肌にブツブツが有り、顔半分の大きな口には、つららを並べたような太く鋭い牙。その隙間から血の混じった涎がダラダラと落ちていた。
そして大きな顔が更に大きく見えるボサボサの髪の間から、虎のように鋭く見開いた目が春樹を捉えている。
春樹が腰を抜かし悲鳴をあげる間も無く、怪物は春樹に襲いかかった。
「あう…ぐぁ…」
あまりの恐怖に春樹の激痛による声も、弱々しく漏れるだけだった。
ポリトフスキーの意識が一瞬にして駆け巡ると、春樹は遠のく意識の中、怪物の後ろで、様子を窺いながらほくそ笑む老いた女性の存在に気付く。
『お…お義母さん…そんな…そんな………』
ケケケケケケ…
決して口吟むことなかれ。
口吟めば、奴が闇から現われん。 (完)