教育はそんなに甘くはないと思います。やって良いことと悪いことを教えるのも教育だと思います。正しい教育を受けられたかどうかで人生は決まるといっても過言ではないような気がします。
いじめを容認しているから、現在、利己的な犯罪が増えているのではないかと思われます。いじめも利己的なもの、相手の気持ちを考えない、不誠実な行為であると教育の現場で親も交えながら子供たちに教えていくべきなのではないのでしょうか?
それと、いじめられる側からの意見を述べさせていただくと、クラスメートを仲間・友達と表現してきますが、仲間・友達と思うならいじめる方がおかしいと言いたいです。いじめる側が、仲間・友達だと思っていないからいじめるのではないのでしょうか?
もし、いじめられていることを《ちくる》と「お前、ちくっただろう」とよけいいじめられます。こういう場合、完璧に、《ちくられる》方に問題があるので逆恨みもいいところだと思います。
この逆恨みを放っておいていいのでしょうか?逆恨みすることが正しいなんて認識させるのはおかしくないですか?放っておくということは、容認していることになるのではないしょうか?
逆恨みをする生徒がいたら、親を交えてでもいじめと逆恨みについて話し合うべきではなかったのでしょうか?