虐げる言葉より、励ましの言葉

一 美命  2008-06-15投稿
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 言葉は虐げるのためにあるのではない、使い様によっては人を励まし、勇気づけ、希望を持たせることもできるのだから…。
 どうせ使うのなら、人を励ましたりするために使う方がよいのではないでしょうか?人を励まし元気を与えることで、反対に、自身も元気になれるような気がします。
 私は、言葉でいじめられてきたせいなのか、人とお話をする際にものすごく言葉を選ぶ癖があります。その為か、本心を話していても、本心でないととられる事が少なくありません。
 この一言を言うことで相手がどう思うのかが気になってしまうのです。ズケズケ言える人が羨ましい時があります。
 人とお話しするときはビクビクです。人とコミュニケーションをとることと人の輪の中に入ることがとても苦手です。これもいじめの後遺症なんでしょうけど…。
 愛想の良さそうな顔をしているせいか、人に声をかけられやすい反面、馬鹿にされ易いのが玉にキズです。この顔のおかげで、人見知りをしないように見られてしまうのです。本当はものすごく人見知りが激しいんです。
 人から話しかけられても内心は何を話せばいいのか分からなくてビクビクしています。顔と内面が全然違うのに誰も気づいてくれない。損なのか得なのか?
 でも、自分の中では無愛想よりはましだと思うことにしています。
 でも、何故いつも半笑いのなのと、質問されたときには困ってしまいました。だって、こういう顔なんだから、しようがないでしょう?理由なんかありませんよ。根本的に愛想がいいだけなんですから…。



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