月の光を浴びたベランダから見える幽霊の少女。
今演奏中の【アンダンテ・スピアナートと華麗なポロネーズ】は、水晶の輝きにもたとえられそうな、きらびやかな音色から織りなされる。
まるで音が微細な光の結晶となって、さんさんと降り注いでいるかの様だ。
「はぁ……凄いわねぇ」
音大出身の薫が、感じ入ったようにため息をつく。
彼女は一旦、目を閉じて考え込むような表情をした後、自らに問い掛けるように喋り始めた。
「ねぇ、 ……信じられる? あのお嬢ちゃん。
あんな変幻自在の絶妙なタッチを、小学生くらいの子が出せるなんて……」
『おじさん、こんばんは〜。お姉さん初めましてこんばんは。
あたし、小村咲季っていうの』
「うふふっ、咲季ちゃん初めまして。
よろしく、ピアノの名人さん。 何だかチョウチョみたいで可愛らしいお名前ね?」
「やぁ、咲季ちゃん今晩は。 この人僕の奥さんで薫って言うんだ。
咲季ちゃんの演奏にびっくりしてたよ」
そこへいつの間にかちゃっかりと咲季の足元に陣取っていたネロが顔をあげていた。
かくして、我が家の家族全員が勢揃いした訳である。
その後はこの花の館の話題になっていった。
当然、咲季が語り手となる。
『あたしね、戦争のずうっと前に死んじゃったの。
何十年か前に弟がピアノを買い替えて、いつも二人いっしょに練習してたんだけど…』
そこまで言うと、咲季は押し黙った。
何となく聞きづらい空気を察してか、薫も質問を控えているみたいだ。
ややあって、咲季は再び語り始める。
『……それが、あんまり年を取りすぎちゃったから老人ホームとかいう所にはいっちゃって…
あたし、ずうっと一人ぼっちでピアノ弾いてたの」
「ううん、一人じゃないわよ。 だって、これからはいつもあたし達がいるでしょ?」
「薫の言う通りだよ。
た・だ・し、僕をおじさんって呼ぶのは勘弁してよ。こう見えてもまだ二十四なんだからさ」
ウインクしながら僕が冗談を飛ばすと、咲季は花の様に微笑んだ。