やればできる子、私の評価はいつもそういう感じだったみたいです。学校に行かなくてもそれなりの成績で、テストをしても学校に行って、習ったところはクリアできるので、習ってないところは、当たり前だけどできませんでした。
でも、この評価って先生が勝手にしている評価で、私自身は、そんなこと思ってもいないんですから…。
前述したように、いじめられた時、私は先生にいじめられていますと相談して、自分でどうにかしなさいと言われてしまいました。
でも、同じクラスで5年生の時、他の子が腋臭を理由にいじめられていました。先生は、その子の時はホームルームを開いて話し合いをしました。如実な差別です。
その子は毎日、学校に来ているのに成績があまりよくない子でした。そういう子には手を差しのべるんですね。
やればできる子という評価は、私にとって邪魔なものでした。何かというと、やればできるんだから…。と言われ、やってもできない子は救えるのに、やればできる子は放置プレーですか?
相談したんだから、やっぱり同じ扱いにすべきです。それとも、私のことで先生は少し学んだということ?でも、私は、ある意味ずっと放置プレーでしたよ。
普段、よくできる子で、たまたまできない時があったとしたら、やればできる子なんだからという言葉は、励ましになるかもしれない。
でも、普段、精神的に落ち込んでいる子に対して、やればできること言う言葉は、逆にプレッシャーのようになってしまって何の効果もない。
でも、やればできる子ということで、できない子と違う態度をとるのは、教師として、人間として間違っていませんか?
これでは、まるでできない子の方が得なのではないかと思ってしまいそうです。
私が本当に弱い子なら先生に相談できずに、自殺をしてます。相談しても、ムダでしだが…。いじめに対して立ち向かう気があるから相談したんだと思う。でも方法がよく分からないからそれを教えてほしかった。