ワーキング・プアからの脱出 21

楽園 海風  2008-06-17投稿
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このような多数の部員が全員、体育館で練習できるはずもなく、室内で練習するのは、レギュラークラスの20名程で、残りは屋外のコートでの練習でした。
私は先述の通り、球技は苦手でしたから、当然屋外コートでの練習でした。
そんな新入生の中で群を抜いて目立っていたのはA君でした。身長が高いだけでは無く、非常に器用で、めきめき頭角を現し、1ヶ月もすると体育館内での練習に加わっていました。私はといいますと相変わらず屋外練習で、頭から足の先まで泥まみれになりながら、それでも体を動かす事は楽しく、それなりに充実した中学生活を送っていました。
A君はすぐにレギュラーの座を勝ち取りました。その年の夏に東京で開催される全国大会出場を争う春の大会が始まり、私達は県代表を勝ち取りました。その日から、東京行きを懸けた熾烈なサバイバルバトルが始まりました。東京に行けるのは、レギュラーメンバーの6名以外に6名、合計12名と決められていました。
A君を含め6名のレギュラーは決定していましたが、残り6名の補欠は誰が選ばれるかは決まっていませんでした。私達の先輩、2年生は約40名、私と同じ1年生は10名程度いました。先述のように、私は球技が苦手でしたから、短期間にバレーボール技術が上達するはずもなく、見事に落選しました。
結局、1年生で選ばれたのは、A君と、後にA君と対角エースを組むO君、そして小柄で、身長160センチにも満たないI君でした。
A君とO君、I君は私の親友でした。A君は中学に入学してからの親友ですが、O君とI君は小学校時代からの親友でした。勿論、親友が代表に選ばれた事は嬉しかったのですが、自分だけが代表から落とされた事には、少なからずショックを受けました。最も、冷静に自分自身の能力を分析すれば、落選しても仕方ない程度の実力しか持ち合わせていませんでしたから納得はできました。
次の年も、県代表として私達の中学が出場する事になり、この時は、私はレギュラーを勝ち取っていました。
前年の先輩達の成績は全国ベスト8で、翌年の私が出場した年は、2回戦で敗退してしまいました。この時、顧問をされていた先生には、先生なりのお考えがあってチーム作りをされた事と思います。今、振り返ってみて、常勝軍団を作るには、もう少し工夫があればと考えています。
つづく



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