ワーキング・プアからの脱出 23

楽園 海風  2008-06-19投稿
閲覧数[481] 良い投票[0] 悪い投票[0]

その結果、私がレギュラー在籍期間中は、県内において、公式戦、練習試合においても無敗でした。それどころか、1セットも落としておらす、唯一追い詰められたのは、先述の0対14からの逆転劇の試合でした。
ワーキング・プアに苦しむ同志諸君、絶対に諦めてはいけません。例え、あと1点で負けが決まるような、ギリギリの状態に追い詰められても、絶対に諦めてはいけません。必ず、逆転のチャンスは巡ってきます。追い詰められた時ほど、焦らず、慎重に、1点、1点を確実に獲得して行きましょう。その、地道な努力が、必ずや勝利へと導いてくれます。諦めないで、戦い続けましょう。
昭和49年4月、県立高等学校普通科に入学しました。県内でも有数の進学校で、中学で小学校時代の貯金を使い果たし、私の成績は急降下しました。小学校以来、常にトップクラスを維持してきた成績が、高校1年の終わりには、後ろから数える方が遥かに早い所まで落ち込んでいました。
そんな事はお構いなしに、スポーツに専念していました。中学時代から続けていた、バレーボール部に入った私は、中学の時より練習に打ち込みました。
高校2年にキャプテンになり、なお一層、勉強より部活動、スポーツに熱中するようになりました。ただ、生来の楽しい事大好きな性格が災いして、私がキャプテンを勤めた年のバレーボール部は勝つ事を優先したチーム作りはしませんでした。とにかくバレーボールを楽しむ部活動になってしまいました。
2年になったばかりの新人戦では、市内で優勝しましたが、どんどん順位は落ちて行き、最終的には市内でも3位に入るのがやっとの所まで落ち込んみました。
実戦的なチームではありませんでしたが、チーム内の人間関係は良好で、練習する時以外にも、一緒に遊ぶ事が多かったように記憶しています。口の悪い他の部の方々は、
『仲良しクラブ』
と、バレーボール部の事を呼んでいたようです。
そんな仲良しクラブの現役最後の試合、秋の県高校総合体育大会に出場した時の出来事です。その試合に勝てば、次は強豪チームとの対戦となり、勝ち上がる確率は非常に低いものでした。
逆に、この試合に負けると、敗者復活戦にまわり、次の相手は先述の強豪チームよりは弱い相手との対戦となり、最終順位は高くなる可能性がありました。
つづく



投票

良い投票 悪い投票

感想投稿



感想


「 楽園 海風 」さんの小説

もっと見る

エッセイの新着小説

もっと見る

[PR]


▲ページトップ