ワーキング・プアからの脱出 33

楽園 海風  2008-06-27投稿
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「いいえ、持っていません。」
と、答えると、
「試験用紙の簡単な説明で、短時間に全問正解できたのは君だけです。F15に搭乗できる素質があるから、頑張りなさい。」
と、激励されました。
親子二代に亘る戦闘機乗りの夢が叶うと信じていました。最終選考は身体検査と簡単なIQ検査のような筆記試験でした。
試験当日、私は発熱して、体調は最高の状態では在りませんでした。それと、小学校時代、水泳部での練習中に飛び込んできた他の部員の指が私の右目に入り、怪我をして以来、乱視になり視力が低下していました。選考基準が裸眼で左右とも1.2以上に対して、私の右目は1.0しかありませんでした。小学校内での視力検査等では大丈夫だったので、この試験も大丈夫と安易に考えていましたが、視力検査だけでも3種類の方法で行われ、右目が基準に達していない事を見つけられてしまいました。どんなに電子技術が進歩しても、空中戦になれば目視による戦いになり、片目でも視力が悪いのは致命的になります。
結果、私は最終選考で不合格と成りました。それまで、親身になって、お世話をして頂いた、パイロットOBの某氏は、
「F15に搭乗できる素質が在るのに、視力が悪いのは仕方ないね。残念です。」
と、仰ってくれました。
戦闘機乗りの夢破れた私は、いまさら大学受験はとても無理だろうと途方にくれていました。そんな時、同級生のS君が、
「S大学を受けてみないか?」
と、誘ってくれました。S大学はできたばかりの大学で、O工業大学の姉妹校でした。その時点での私の学力では他に選択の余地は無く、S君と二人で同じ工学部電気工学科を受験、二人揃って合格し、入学する事になりました。
パイロットが駄目な場合は技術者にと考えていました。機械の技術者に成りたかったのですが、機械を制御するには電気の知識が必要と考え、まず電気工学を学ぶ事にしました。今では当然の事ですが、この当時、漸く機械と電気の融合、メカトロニクスと言う言葉ができた時代でした。
大学に入学する時、両親から言い渡された事は、
「6年間は大学、大学院等で在籍は認めるが、留年は認めない。留年が決まれば退学させる。」
でした。兄は大学院まで進学しましたが、私は電気工学と機械工学の学士号を採る道を選択しました。
つづく



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