私は石のように固まったまま、囁かれた言葉が頭に浸透していくのを感じていた。
部屋いっぱいに響く、何かを切る音と男の声。
今やそれは喘いでいるのではなく、断末魔の絶叫に聞こえた。
私は無理矢理、頭を玄関へと向けた。
…嫌……
誰なの…?
玄関は薄暗い。
が、さっきまであった白く光る覗き穴はなかった
つまり誰か…何かが、ドアの向こうにいる。
引き寄せられるように私は立ち上がり、歩いて数歩の玄関のドアへと向かう。
足が浮遊しているように頼りなく現実味が感じられない…。
私は覗き穴に触れそうなくらい、目を近づけた。
ア…アアゥウア…
ドア一枚隔てた向こうにこちらを凝視する男がいた。
唇の動きに合わせて、盗聴部屋から声が響く。
ア…アゥ…ニキテ…ニキテ…ニキテ…コ…ニキテ…テ…
男の口から、唐突に血が溢れ出し、黄色く濁った両目から、首から、腹から、手首から、膝から、……全身から血が流れ出した。
私は
気を失った。
次の朝、私は玄関で目覚めた。
盗聴部屋からは一切の音はなく、扉の向こうにも誰も居ない…が、私の鼻の奥に、男の血の匂いが…耳に囁きが…はっきりと残されていた。
私はあの部屋にゆっくりと向かった。
チャイムを鳴らす。
明るい声がして、奥さんが出た。
「はい?どなた」
私は言った。
「旦那さんに呼ばれました」
女は少しだけ沈黙し、それから、戸をチェーン越しに開けた。
ぎらぎらと光る猫のような目を私はまっすぐ見つめていた。
女の真後ろに立つ、血まみれの夫を見ていた。
「来たわ」
女は私の視線にギクリとして振り返ったが、その目は夫を映してはいないようで、私を狐のように青白い顔で見返すばかりだった。
男はずっと私に言っていたのだ。
……ココニキテ……
女の爪のなかは
黒く濁っていた。
きっと両手とも、真っ黒に違いない、と
私は確信していた。
終
ココニキテ