哲也のその告白に、理子は、頭を激しく殴られたような衝撃を受けた。
「彼の言う通りだわ… 私は、彼を責められる資格のある人間じゃなかった。 彼と一緒にいても、私は、いつも不安だったし、いつも心から楽しんでもいなかった…」
人間は、意識的にしろ、無意識的にしろ、常に、嘘をつき続ける動物だと言われる。誰だって、完全に、他人を、非難できる人間なんていないのだろう。
聖書に、次のような内容の一節があるらしい。 ある罪に汚れきった一人の女を、群衆が囲んでいた。その群衆に対して、キリストが語った。
「この中で、自分に全く罪がないと思う人間だけが、この女に、石を投げなさい」
その言葉を聞いた群衆は、一人去り…二人去り…終いには、女とキリストだけが、後に残った。
その女にキリストは語った。
「二度と同じ罪を犯さないように…」
人間は、このキリストの言葉さえ守れない、悲しい生き物だ。
分かっていても、同じ過ちを、何度も、何度も繰り返す。
だからと言って、それに馴れ合っても、社会が、泥にまみれていく一方だ。
理子は、現代人には、なんの道標もなく、なんの水先案内も、ないような気がしてならなかった。いわゆる、誰も信じられないのだ。
信仰を持っている日本人など、稀有な存在だろうし、理子も例外ではなかった。
だからこそ、己の良心を、信じるしかないのかもしれない。
他人は騙せても、自分自身だけは、決して騙せはしない……