エスパー定年

雛祭パペ彦  2006-06-07投稿
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 実をいうと、僕は「時間」を停めることができる。
 やり方は簡単で「息」を止めるだけでいい。
 僕が息を止めているあいだ、この世の全てが「停止」する。少なくとも、僕の肉眼で確認できる範囲では、それが何であろうと誰であろうとも、動きを停めてしまう。もちろん、息を止めている僕自身だけは、自由に動きまわることができた。

 この能力に初めて気が付いたのは、中学1年の夏だった。
 25m泳のテストの日。
 テストは、2人1組で行うことになっていて、僕の相手はクロールで泳ぐことができた。
 一方の僕は、犬かき&バタ足泳法のみ。息継ぎなんかしていたら、クロールに負けてしまう。だから、負けず嫌いな僕は、一度も息継ぎをせずに25mを泳ぎきろうと決意した。
 苦しかった。それでも、決意のとおりに泳ぎきった僕は、一刻も早く呼吸をするため、無我夢中でプールの水面から勢いよく飛びだした。そして、むさぼるように息を吸い込んだ。
 25mの終着点では、タイムを測っている体育の先生が待ち構えていた。そして、なぜか目を大きく見開いたまま驚いた顔をして、僕のことを見下ろしていた。
 驚くのも当然で、僕のテストの相手は、まだスタート地点から5mくらいのところを泳いでいたのだ。

 その後、おそるおそるこの能力を試しているうちに、1つだけわかったことがあった。
 どうやら「時間を停めているあいだ」は、僕が何をしようとも、周りの人には「見えていない」らしいのだ。
 例えば、僕が息を止めたまま、同級生のズボンを下ろしてみたり、テスト中に堂々とカンニングをしてみたり、書店へ行って好きなだけ漫画をカバンに入れてみたり、通りすがりの人の財布からちょっとお金をニャンニャンしてみたり、交番に行っておまわりさんから拳銃をニャンニャンしてみたり、たとえそれを使わなくても簡単に銀行ニャンニャンができたり、とにかく色々なことが可能となるわけで、この能力を自由に使える僕は、もはや勉強したり、わざわざ汗水を垂らして働いたりする必要がなかった……のだけれど、とうとう一度も「時間を停める能力」を使って悪事をはたらくことがないまま、僕は、定年退職の日を迎えてしまった。
 いま、目の前には、大勢の部下たちが集まってくれていて、僕は手元にある「退職のあいさつ」を書き留めたメモを、何度も見直していた。
 もちろん「息」を止めたままで。

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