奇妙に折れ曲がった手が、手招きをしていた。
  行ってはいけないと、鈍い本能が叫ぶ。
  強かに酔った頭は、しかし、その叫びを受け入れない。
  いや、こんなにボンヤリしているのは、本当に酒のせいだったろうか。
  自分は酒に弱くない。若い頃には、一升瓶を五本空けても、シラフで通せたのだ。
 その時のことが、不可思議に、鮮明に思い出された。
  ああ、そうだ…あの日を最後に、友は旅立ったのだ。誰にもそんな素振りを見せず、静かに盃を傾けていた。
  その横顔が、睫毛一本々々に至るまで鮮明に甦り―――\r
 
  現実が、遠ざかっていく。
  そこで、はたと気づく。
  
  そうだ。手だ。
  あれは一体なんだろう。見間違いだろうか?だとしても、何と見間違えたのだろう。
  そう脳裏に浮かんだ途端、元の場所にいた。
  手は、相変わらず拙い手招きを繰り返している。
  フワフワした心持ちで、その招きに応じる。
  
  それは、やはり手だった。歪に曲がり、千切れた人間の腕。
  それが、フェンスに引っ掛かり、風に遊ばれ、誰かを呼んでいたのだ。
  見渡せば、そこら中に、誰かの欠片。レールの上に散らばる、赤くただれた、小腸や、胃や、てらてらと濡れて突き立つ脊椎…
  こんなにも恐ろしいものを見たせいか、足はもう、動かない。
 醒めきらない頭が、誰のものかを知りたがった。
  どこだ。顔…顔…顔……
  それは、すぐ、足元に在った。
  目を見開いた、人間とは思えないような、凄惨な…
  …自らの顔面。
「…醒めなければ、そのまま逝けたものを」
  空耳がした。
  足がもう、動かない…
           ― 終