俺は甘かった。
やはり未知の災害から逃れるためには、箱舟を造船して、食糧その他諸々詰め込んで引き込もるしかないらしい。
赤い財布の中身は、すでに目の前のシェフの気まぐれランチとトレードされている。
「ありません、じゃねーだるぉが!」
目の前には、赤い財布の持ち主、であると同時に俺の財布の中身を持つ女。
「いーじゃないスか!そっちはまだ金あるデショ、こっちはこれで今日最後のメシなんだぞですよコラ!」
複雑にグツグツと煮たつ感情が俺の言語分野に働きかけ、新たな文法を創造。
自分の感情表現の豊かさを再発見できた。
一方彼女は、俺の向かいにドカッと腰を下ろし、料理の載った皿を自分の方へ引き寄せると、
「貸せ」
と俺のフォークを奪い取り、俺の食べかけにがっつく。
…何て意地汚い女だ。
「何だよその目は。言っとくけど、アタシの金遣ったんだから、コレはアタシの飯だかんな?」
1+1は3だよ?何でこんな事も知らないの?みたいな口調だった。
多分、この女の中では彼女がルールなのだろう。常識も良識も無い、自由な国のプリンセスなのだ、きっと。
多分そのうち、王女を助けに来た王子に魔女と間違えられて串刺にされて燃やされるだろう。
俺はその物語にタイトルをつけるべく、プリンセスに名前を尋ねた。
「タック。何で?」
「や、別に。」
タック。色気もロマンもねぇな。ついでにムネもねぇし。
それはそれとして。
「なあタック、何で俺がここにいるってわかった?」
俺は至ってフレンドリーに話しかけた。極々軽い、世間話を始めるように。
彼女はシラケた様子で俺の鼻筋をフォークで示した。
「キズ。」
ガチョリーナ、お前さえあの時抵抗しなければ、俺はこんな女に振り回されずに済んだのに。
俺は、昔、晩飯になって今も俺の一部として生きているだろう彼女(砂鴨・♀)を恨んだ。
鳥の話はさておき、傷のせいで顔を覚えられてしまうのは厄介だ。
「化粧でもしようかな」
「げぇえ、よせよ、気持ち悪ィ」
「…どんな化粧想像したんだよ」
盛大に顔をしかめた彼女の口から、中の物がのぞいていた。かなりアホっぽい。
「なあタック、お前そんなに金に困ってるならさ、いい儲け話があるんだが、のらないか?」