「はっ……はっ……はっ……っぐ」
山中、大きな犬の背中に負われながら、男が荒い息を吐く。時折呻きが混じるのは、痛みを堪えているからだろうか。
男が自分の右腕を見る。半ばまで切られ、骨にも皹が入っていた腕だ。応急処置に治療符を貼ったものの、余り効果はあがっていないようだ。どうにか皮膚と血管は繋がったらしいが、中の筋繊維までは治癒できていないらしい。
これでは戦闘を行えない。出来たとしても式を放つことくらいしか、
「……っ!」
どうやら、その式も全滅したらしい。相手は先程の二人か。苛立たしさから、舌打ちを漏らす。
あと少しだったというのに、嫌な場面で邪魔が入った。その上武器はもう手元になく、式も残りは一。誰かに襲われれば終わりで、噂になり始めている現状では身を隠し続けることもままならない。折角作り上げた儀式場も廃棄せざるを得ないだろう。今までの苦労が水の泡だ。だが、命さえあれば、また、やり直せる。と、
「そんなに急いで何処に行くの?」
声。そして衝撃。身体は中に舞い、地面に叩き付けられた。衝撃に噎せ、身体を起こす。と、叫びが聞こえた。見れば、最後の式が隆起した大地に貫かれていた。腹を貫く土塊には薄らと緑色の光が浮かんでいた。魔術の行使に伴う演算処理による発光現象。その残光。つまり。
「――っ! 魔術師――プログラマか!」
「ピンポーン。正解。ただし」
言葉と共に熱が来た。火球。総計5つの炎熱の塊が演算模様を纏い、魔術師の手前の空間から放たれて大地を刔る。全力を以て身体を跳ね上げ、回避した。顔を上げ、そこでようやく、男は相手の姿を視認する。
若い女だ。髪を後頭部で括り、顔に眼鏡をかけた十代後半程度の少女。表情はにこやかに、硝子の奥に覗く紫色の瞳で男を伺っている。
「ただし、ボクは“書肆”なんて呼ばれてるけどね」
「……っ!? 貴様、“列席”の……!」
「そう。赤の女王列席『紫の書庫』、圧縮図書館の“書肆”……紫香楽宮祉(しがらきぐうし)の、」
言葉が終わる前に、それが来た。上空から落ちて来た槍が、演算模様を棚引かせながら男を貫いたのだ。こふ、と音をたて、男が口から血を零す。さらに連続する金属音。秒も裁たずに、男の身体が塵と消えた。
「……って、もう聞いてないか」