ナガセが部屋を出た後、イェンは一人カプセルの前に佇んでいた。
これが何であるか、イェンは知らない。ディスプレイに映る文字は彼に親しみのない物ばかりで、解読出来そうもない。
機械と無縁の、只の役所の職員に過ぎないイェンは、ある日この天才児の保護を命じられて、以来、ずっとこの子供を見守って来た。
そして子供は、自分自身の事など省ずコンピュータと向き合ってばかりいる。
カプセルが出来上がる前、その目的を、一度だけナガセに尋ねた事がある。
「世界に対する、ささやかな抵抗」
思いつめたような、ひた向きなその横顔に、その時はそれ以上問いかける事が出来なかった。
ナガセは軽くシャワーを浴びてから、洗面所で洗濯乾燥機の中の洗ったまま放置してあったタオルで体を拭いた。
いい加減な拭き方のせいで、着替えたばかりの服に髪から垂れた水が染みてしまう。
タオルを首にかけ、ナガセは再びカプセルの部屋を訪れた。
カプセルの側に佇むイェンの後ろ姿を捉えると、その瞳が穏やかなものに変わる。
「イェン」
ナガセが入って来たことに気づかなかったイェンは、僅かに驚いた表情を浮かべた。
「ナガセ?どうかした?」
「ねぇ、一緒に寝ようよ。昔みたいに」
「何を言い出すんだか。二人で寝られる程、ナガセのベッドは広くないだろう?」
「じゃあもっと大きなベッドを買おう」
イェンは、呆れたようなため息をついた。 ナガセは、大人びているかと思えば、突然こういった子供染みた事を言い出す。この不安定さは、この子の背負う孤独故なのだろうかと、ふと思った。
「ダメだ、そんな我が儘言ってちゃ。もう子供じゃ無いんだから。ちゃんと髪も拭かないと」
そう言って、イェンは少し乱暴にナガセの頭を拭いてやる。
タオルに頭を覆われながら、ナガセは唇を噛み締めた。
「ほら、お休み。ナガセ」
「お休み、イェン」
促されるまま一人部屋を出ると、暫くして廊下で立ち止まり、ナガセは爪が白くなる位強く自らの体を掻き抱いた。
そのままズルズルと、壁に寄りかかりながらくずおれる。
「大人になんか成りたくない…」
そのかすれた声は灰色の廊下に微かに反響し、誰にも届く事無く消えた。