好い人は早く死ぬ。
岩雄おじさんの長男の悠司君が亡くなった。
母はお風呂で転んで入院する事に。
私たち3兄弟と父とでお葬式に行った。
岡山と大阪で離れているせいもあり、小学校以来あまり会ってなかったが、優しく明るい従兄弟にもう会えないと思うと辛くて、みんな早すぎる死に涙した。 式が終わり昼食の際、父は親族の部屋で食べたが、私たち兄弟とその子供達は、控え室で席が足りないから食べるように言われた。 わたしはその方が楽だった文代おばさんもいる。その子供達も含み笑いをして見ている。あまり考えないようにその場をやり過ごした。
岩雄おじさんはお子さまランチのような弁当を2つ余分に持ってきて「これも食べといてええから」と部屋に入れないお詫びの様に言い残して、また部屋に戻って行った。
岩雄おじさんも泣いていた辛かっただろう。その悲しみは、怒りとなって母にむけられることになる。 母の入院生活に、地域に友人におかしなことが起きて来るのだった。私達は遠方なので他の親戚より早く帰ることにした。家が留守の時に限って人がくるようになった。わざわざドアを開けて家の中に野菜を置いて行く。ただの親切かと思っていたが、家のなかをわざわざ数人の人が見に来ている様だ。我が家は寺ではない。ご奉納も年貢もいらないのだ。
噂を広めてくれたのは2軒隣の川橋さん。我が家が掃除をしない家だとふれまわり、玄関から来ずに裏から回って来たり近所のギャラリーを連れ、ひろがったところを見せたり、とにかく長生きするタイプだった。 つづく