深夜のトンネルを、僕は車で抜けて行こうとしていた。
助手席に座った女は深々と頭を下げていて、寝ているように見えた。
僕自身は「怪談」などを割りと信じている方だったから、オレンジ色に輝くトンネルを午前2時に通るのに嫌な気がして仕方なかった。
それでも僕は急いでいたし、個人的な理由からもこの道を通らざるを得ないのだ。
出口の見えぬトンネルに入ると、辺りは異様な光に包まれる。
独特の気味悪さが、あらゆる怪談話を生むのだろう…などと考えていて、僕はその瞬間、通り過ぎた黒い影に気付き、思わずスピードを緩めた。
人だ。
こんな時間に、女が歩いている。
しかも、手に握っているのはバギーじゃないか。
バックミラー越しに解るのはその程度で、赤ん坊が乗っているのかどうかまでは解りかねた。
ぞっとする。
…とは言いつつも、僕は好奇心を抑え切れない。そこが僕の悪い癖だ。
つまらないことに足を突っ込んでは、面倒ごとに巻き込まれる。
それでも僕は結局、ちらりと助手席に目をやりつつ、車を止めた。
多少、予定が狂った所でどうなるもんでもない。
後方からゆっくりとやってくる女に、僕は近づいていく。
三メートルくらいまで近づいた時、女が止まった
警戒しているのかもしれない。
僕は声をかけた。
「大丈夫ですか、こんな遅くに」
女の長い髪が顔を隠していて、ハッキリとは解らないが…どうやら若くはないようだ。
…いや、むしろ老婆に近い。
僕が一歩、さらに近づくと、女は反対に一歩下がった。
もう一度言う。
「大丈夫ですか」
女は顔をあげ…やはり老婆だ…顔の割りあいからすると大きすぎる両目を見開いた。
「私に近寄らないで」
キィキィと甲高い声は耳障りで、筋ばった首元に血管が浮かび上がる。
幽霊ではないらしい。
血管がある幽霊など興ざめだ。
僕は首を振り、僅かに残った興味を掻き立てた。
「何をしているんです」
老婆は答えず、ギラギラと憎しみさえ漂う形相で意を決したように進み始めた。
「気が狂ってるんですよおかしいわあの人。私に構わないで。ああ、泣いてしまった可哀相に。怖くないわ。怖くないのよ本当よ」
絶えずさえずりながら、老婆は向かってくる。
可哀相に、どうやらこれが世に言う「痴呆」「徘徊」というものらしい。
僕は憐れみの目で老婆が通り過ぎるのを待った。
後編に続く