古賀は、高校生を卒業すると、本格的に音楽の道を歩もうと豊島区の千川という町で当時二万円八千円の古びたアパートで一人暮しを始めた。
昼間は、引越しの仕事をして夜は週三回の居酒屋でのアルバイトで生計をたてていた。
それはライブをやる為の資金や古賀が何よりも欲しかったギブソンのギターを手に入れる為であった。そのギブソンのギターを手に入れたのは、彼が十九歳のときだった。
その頃、彼は既に二十曲以上のオリジナル曲を作っていた。
だがライブをやるときは、古賀本人が友人を誘うことが多く、彼の歌を本当に聞きに来てくれるファンは少なかった。
そんな中、姿を現したのが恵子だった。