それは、Aの唐突な問い掛けから始まった。
「君は死ぬとは何か解るかい?」
なぜAがこんな問いを持ち掛けるのか、そんなことはBにとってどうでもいい事だった。
なぜならAのこの手の問いは、Bにはもう日常茶飯事だったからだ。
しかし今回のそれは、Bにとっていつもに増しての難題だった。
Aはそれを察したかのように、質問を変えた。
「それじゃあ、君は死んだことはあるかい?」
「いいや。」
「一度もかい?」
「もちろん。」
BにはAの意味することが解らなかった。
死ぬとは命を失うこと。
一度無くした命は二度と戻らないことなど、誰もが知っていることだ。
この問いは、今、現に生きているBに向けられるべきではなかった。
Aは話を続けた。
「僕は死んだ事があると思う。いいや、死んでいたと言うべきだろうか。」
Bは困惑の表情を浮かべた。
「それはどういうことだい?」
「例えば、君は去年の今日という日には確かに生きていた。それは間違いないね?」
「もちろんさ。」
Bには確かにその日から今日までの記憶があった。
それはBが今日まで生きていたという紛れも無い証拠である。
「それじゃあ、二十年前ではどうだい?」
Bは今度は言葉につまっってしまった。
二十年前、その時には、まだBの人生は始まっていなかった。
当然、その時の記憶などあるはずもない。
Bには自分が生きていたという証拠がみつからなかった。
「そうか、生まれてくる前には誰もが命を持たない、つまり死んでいたということだ。」
納得したBは、もう一度、死ぬとはどういうことかを考えてみた。
しかし、どれだけ考えても、やはりその答えは見つかりそうにもなかった。
ふと見上げると、そこにはいつもより大きな空が広がっていた。