5-? 初秋の桜
粋乃の声を聞いて,
純は閉じていた目をやっと見開いた。
『私です。粋乃です。』
粋乃は純の視界に入るように身を乗り出した。
その時,純は穏やかな微笑みを見せ,
力の無い手で粋乃の頬に触れた。
『粋乃‥さん。
久しぶりですね‥』
純の手は冷たい。
『‥ごめんなさい,もう会わないと言ったのに,
来てしまいました。』
『謝る事ないです‥
私はずっと,後悔していたんですよ‥あなたに,別れを告げた事に。』
純は荒い息で途切れ途切れに言った。
『私もです。
何故あの時,無理やりでもあなたの側にいなかったのかと‥。』
粋乃の言葉が詰まった。
やっと会えたと思ったら純はまもなく死ぬのだ。
後悔してもしきれぬ思いが,涙となって溢れた。
『泣かないで‥』
粋乃の頬が涙で濡れた事に純は気付いたようだ。
粋乃は自分の頬にある純の手を握った。
『泣いてなんか,いませんよ。』
強がった粋乃の涙は,止まることなく次々と落ちる。
純はいつもの調子で笑った。
『‥じゃあ,私の勘違いですね。』
病人らしからぬ笑顔だった。
純の荒かった息は,
いつの間にか収まっている。
『純さん,季節はもう秋ですね。』
粋乃は思い出した様に話し出した。
『知ってますか?秋にも桜って,咲くんですよ』
粋乃は庭へ続く襖を開けた。
秋の暖かい日の光が部屋に差し込む。
そこには,鮮やかな桃色の秋桜(コスモス)がいくつも咲いていた。
『秋桜‥。』
純は呟いた。
『あなたと出会った日も満開の桜でしたね。』
『‥はい。』
粋乃は純と出会った日の事を思い出した。
『そして‥
今日(別れの日‥)も。』
純は満開の秋桜を見た。
『‥秋桜,
綺麗だな‥。』
それから純は一言も喋らなかった。
これが,最期の言葉となったのだ。
『純‥さん?』
粋乃が
再び声をかけた時,
純は微笑みを見せながら既に永眠していた。
淡矢 純 享年23。
心優しい彼の死に,
皆いつまでも涙するのだった。
秋桜は,
純の後を追うように
翌日枯れたと言う。
●●終わり●●