空が1年生になって、3ヶ月が過ぎ、夏休みに入ろうとしていた。
空は、海人の帰りを待っていた。
「ただいま〜」
「お帰りなさい、お父さん」
海人が、着替えをするために寝室へ入ると、空は、その後をついてきた。
「ねえ、お父さん。今年は何処へ行くの?」
海人の家では、毎年夏になると、妙子の家族とともに、旅行へ行くのが恒例だった。
海人は、もう『そろそろだなあ』と、気にはなっていたが、今年は菜緒が居ないし、どうしようかと思っていた。
「空は、何処へ行きたい?」
「あのね、去年は海へ行ったから、今年は山が良いな!」
「そうか、山か。今年は、お母さんがいないから、おばあちゃんにも、来てもらおうか?」
「うん。おばあちゃんにも『一緒に行こうね』って、言っておいたから。それに、早織ちゃんも、妙子おばちゃんも、山が良いねって!」
「えっ、もう皆に話したのか?」
「うん!」
富子が、食事を食卓に並べながら言った。
「私は、余り虫の多い所は嫌だよ!それから、山登りも」
「そうか、それじゃあ、キャンプ場の、コテージを予約しようか!」
「コテージって?」空が聞いた。
「コテージと言うのは、丸太を組み合わせて作った家で、台所やお風呂も付いているんだ。だから、食べ物も、好きな材料を持って行って、自分たちで作るんだゾ!」
「ふ〜ん。妙子おばちゃんに、何を作ってもらおうかな?」
空は、自分の母親を、忘れたかのように、菜緒の事を口にしない。それは海人にとって、寂しい事でもあるが、心から、いとおしいと思う事でもあった。
この子を、絶対に悲しませてはいけない!海人は、空に出来る限りの愛情を注ぎ『母親が居なくたって、こんなに立派に育ったよ』と、菜緒に自慢したいと思っていた。
山へ出発する前日、突然、電話が鳴った。
富子の義理の姉からだった。
電話の内容は、富子の実の兄、藤田義男が、脳梗塞で病院へ運ばれた、との事だった。
富子は、10才離れた藤田義男と、二人兄妹で、早くに父親が亡くなった事もあり、随分世話を掛けた兄であった。
富子は、居ても立ってもいられず、病院へ向かう事にした。
「海人、私が行かなくても、呉々も間違いの無いようにね」
海人は、富子が何を心配しているか、十分分かっていた。
「分かってるよ。空を、悲しませる事だけはしないさ!」