永田総理は、いち早くアメリカ支持を表明し、自衛隊派遣の準備を進めた。
永田総理は、自衛隊派遣の法的手続きとともに、具体的な出動装備にまで、自らの考えを示し、指示をした。
法的手続きについては、いわゆる通常の法律に優先する、特別法を新たに制定することにより、今回の派遣を可能ならしめることとした。
もちろん憲法の規定に反する内容は、制定できないことから、人道支援という名目での派遣となった。
もっとも、米軍の支援という大義名分のもと、法的な枠を超えて、実質、戦闘行為に従事するよう、圧力をかけられることを、警戒した日本政府は、あえて国内世論がまとまらない状況を維持し、自衛隊がアメリカに利用されないよう布石をうった。
つまり要請には応じるものの、いいようには使われないという日本の防衛策であった。
とはいえ、世界で類をみない「侵略しない軍隊」は、すでに災害派遣、平和維持活動で、世界の人々に、自衛隊派遣そのものが、喝采を受けるほどの、信頼と実績を積み重ねている。
他国の軍隊だというのに、被災国に歓迎されるという事例は、おそらく歴史にもない。