サザエさん宅には「タマ」と申す猫がいる。吾輩も散歩途中、見知らぬ小学生などから、そう呼ばれること、しばしばある。しかし明くる日、同じ小学生が他の猫にもそう呼んでいたので、どうやら吾輩に向けられた名前では無い。
早速サザエさん宅へ向うこと、最たる年少者は御存知タラちゃんである。年少者ゆえに正面からの教育、最も数多く受けることとなっておる。比べ、最も強く教育圧力を受けていのがカツオ君であろうが、とある事情で、何かと懲りずして平穏を保っている。
それよりも、いかなる物であろうか、正面からの教育とは。簡単に言って、それは施す側の世話焼き作用だ。あるいは世話焼き光線とか世話焼きビームと喩えた方が分かり易い物かも知れない。
例えば、カツオ君の世話焼き作用を挙げれば、ワカメちゃんに向ける「世の中、そういうことだけじゃ済まない」や、タラちゃんに向ける「じゃあ、行こう」など様々ある。と言うより、長男たる意識、それは強く働くにあって、両妹甥を前に忘れること、未だかつて一度たりともない。同時にカツオ君が他から受けてきた世話焼き光線のダメージなりストレス、世話を焼くことにて解消するかのようである。ここにカツオの、懲りずに平穏を保てる理由があり。
なるほど、タラちゃんもさらなる年少者イクラちゃんの登場で、何とかそれを解消できてはいる。しかしだからと言って、いつまでもイクラちゃんをそこに留めておく訳にもいかない。ああ、ただ四方八方より世話焼き作用に囲まれて、募るは、さまよう世話焼き欲求ばかり。
そこで出番となるは、吾輩の同志、タマにある。要約すること、タラちゃんの世話焼き欲求、一身に背負っているのが白猫のタマである。タマを主人公として見ている吾輩が言うのだから、間違いない。タマの傍らに御座すことにて、タラちゃんが丸く治まっている。
もしこれ疑う者があるならば、一つお勧めの曲がある。それは「黒猫のタンゴ」という歌だ。子供に芽生えた世話焼き欲求が、見事なまでに黒猫へ向けられていて、仕上がりもいい。また黒繋がりで「ダッコちゃん」という人形も浮かび上がるが、ただし、こちらは単純に世話焼き欲求を満たすというよりは、頼りにされる喜びを味わう作品だ。もともとは「木のぼりウインキー」だったが、普及と共に名も変えられたらしい。
ちなみに吾輩は今、カツオ君とマスオさんの関係に関心がある。