「行けよ。」
「嫌……。」
「お前が行かなくて、誰が舞子を救うんだよ!?」
美香はうつむいて歯を食いしばった。そのままじっと動かなくなった。
やがて美香は顔を上げた。苦しかったが、覚悟はできていた。
「……迎えに、くるから。」
だからそれまで死なないで、ちゃんと生きて待ってて。
消え入りそうな声でそう呟いた美香に、耕太は優しく頷いてみせた。
「おう、待ってる。」
「……うん。」
耕太は光に寄り添うように入り口の側に立った。美香はその前に立つ。
耕太はふと気づいた。――美香が、泣いてる……?
「美……、」
しかし、それは光の悪戯かもしれなかった。
美香はキッと入り口を睨み上げた。そこに涙はなかった。
その決意した顔。強くて脆くて、美しい表情に、耕太は美香が舞子を守ると決めた時のことを思い出した。
薄暗い夕方。隣の家から鳴り響く悲鳴。
耕太は慌てて親に言ったが、親にはそんな悲鳴は聞こえなかったという。
すぐに玄関から飛び出した。
隣は美香と舞子の住む家だ。
何度チャイムを鳴らしても出てこない。鍵が開いていたのでバン、とドアを開け、靴を脱ぎ捨て、階段をドタドタと駆け上がった。
二階にある、美香と舞子の子供部屋。
ぐったりとした舞子を抱えて、美香がぺたんと床に座り込んでいた。
二人とも傷だらけだった。特に美香の怪我はひどく、所々に血がにじんでいた。
美香は虚ろな目をしていた。ゆっくりと舞子を見下ろしたその瞳に、つうっと涙が浮かんで、やがて静かに頬を伝った。
美香は何を思ったのだろう。耕太は今でも考える。一滴涙を流した後、キッと天井を睨んだその時の表情が今でも忘れられなかった。
耕太を使って、“子供のセカイ”が開かれようとしていた。それは奇妙な感覚だった。耕太自身は何も変わっていないのだが、美香は眩しそうにこっちを見ている。
「耕太……、」
美香は耕太に向かって歩き出した。目線が合わない。すでに美香には、耕太は光る入り口にしか見えていないのだろう。
黙っている耕太の鼻先数センチ先で、美香は立ち止まった。
心臓が止まるかと思った。
美香はぎゅっと耕太の体を抱きしめた。
「ありがとう。」
そして美香は、耕太をすり抜け、スッと消えた。
美香は“子供のセカイ”に入り、耕太は闇の中に取り残された……。