天才は泣かなかった。泣いているのは、天才の一部分だけで外見的には一瞬、眉を寄せただけだった。
「あなたは自殺しようとした事がありますか?」シンジは言った。
「うん。あるよ…」遼一は即答した。
「今は、レースの事を考えましょう」シンジは遼一を見て言った。
「そうやって、物事を分割、独立させて、しかも平行に同時に思考できる…。俺には出来ない芸当だ。君がうらやましい」遼一は目を細めてシンジを見ながら言った。
遼一は続けて言った。「分かったよ。レースが終わったらマージャンでもやろうか?」
シンジは笑って言った。
「そうやって思考がランダムにジャンプする貴方が、オレにはうらやましい。マージャン強そうですね。オレは囲碁や将棋では負けた事はありません。たぶんプロ棋士にも勝てるでしょう。でもマージャンでは時々、兄貴達に負ける事があります。不思議なゲームですよね」
遼一とシンジの会話を美穂は、左右にキョロキョロと顔を向けて聞いていた。首の運動をしているわけではない。会話について行けないのだ。どんな次元の話だろう?たぶん、言葉に現されるのは氷山の一角で水面下はマリアナ海溝のように深いハズだ。今は、自分が口を出す時ではない。だから黙っていよう。
「ところが、俺は滅茶苦茶マージャン弱いんだ」遼一が大声で笑った。
こんな顔で笑う遼一を見たのは初めてだ。美穂は、つられて笑った。
「カンちゃん…。ありがとう。俺達の会話に口を挟まずに黙って居てくれて」遼一が美穂を見て言った。
「えっ…。あ、いえ…。ただ単に会話について行けなかっただけです。だから黙っていたんです」美穂は正直に言った。
「空気を読んだんだね。やっぱり気を操れるじゃん」シンジが言った。
「だから、意味わかんないって」美穂は戸惑う。
「シンジ君。君の兄さん…。君に無い発想をする方…。俺と同じタイプだね。きっと。すると戦闘力がある方の兄さんをその気にさせるのが、勝負のキーだね」
「そうなんです。根っからの平和主義というか…」
「分かった…ちょっと考えさせて」遼一は、またぼんやりし始めた。
「カンちゃん。遼一さんとの会話で一番印象に残ったフレーズは何?」シンジが聞いた。
レースの話をしたり、全然関係ない話をしたり、訳が分からなかった。しかし、美穂は即答した。遼一との会話なら、ほとんど覚えている。
「それは…」